本日の毎日新聞の「発言席」で教育評論家の小宮山氏が書かれていたデータからの考察は非常に興味深いものでした。
簡単に概略を述べますと東京の小学生と秋田の小学生の比較です。
東京の小学生は40%近く私立中学校を受験するために、進学塾に通い、秋田の小学生よりも5倍の勉強時間と10倍の学費を使っている。
しかし、全国統一学力検査の結果を見ますと成績に大きな差はない。
そのような内容でした。
私の解釈では、意味のない学習が繰り広げられ、単に経済的な意義のための小学生は犠牲になっていると考えます。
親としては高額の授業料を支払うので、成績が上がってしかるべきと考えます。
小学生も自分の時間を割いて勉強しているのだから志望校に進学できてしかるべきだと考えます。
進学塾は適切な方法論をとっているので、成績が上がってしかるべきだと考えます。
しかし、結果は常に付いてくることはないのです。
総合的には悪循環がここにはあり、誰もが苦しんでいるのです。
小学生に必要なのは問いをたてる方法を教えることだと思います。
学・問は問いを学ぶのであり、語句を学ぶのではありません。
語句を組み替えて、問いをたてることに学問の本質はあると思っています。
自らの感覚を使って、世界に対して疑問を持ち、自ら問い、そしてそれにこれたる方法を学ぶべきなのだと思います。
大学教育に携わり、問いをたてるためのアプローチを可能な限り進めていくのですが、初等教育が本質的な学問の部分で成功していない場合は組み立て直しが必要になります。
教えなくてはいけない語句(どうしても専門的な語句が必要になります)の前に語句の使用方法と並べ替え方、あるいは書き方、表現の仕方を指導する必要があります。
じっくりと腰を据えてやらなければならないアプローチです。
そして、そこから問いをたてる方法と問いに答える私自身の姿勢を見せているつもりです。
いわば、ここに学習デザインの本質があると考えています。
私は哲学者の鷲田清一からそれを学びました。
その言葉をぜひお聞きください。
堀 寛史

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