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    2009年3月11日水曜日

    振り出しに戻る感覚

    「4月になれば、また振り出しに戻るんだね」
    同僚がそういいました。
    4月は年度の始まりで、私たち大学教員にとっては新学期の始まりであり、新入生が入ってくるのです。
    新しいと言えば新しいのですが、私たちの生活を行為で捉えると1年をぐるぐる回って同じことをしている感覚を受けるというのです。
    確かにその感覚を私も受けます。
    どこかをぐるぐる回っていて、気づいたら同じところに帰ってくる。
    これには変化がないことの退屈さと逆にかわらないことへの安心感の両方がそなわっています。
    良くも悪くもかわらない、よくよく考えてもこれは幸か不幸のどちらかだとすれば、幸の方なのだと思います。

    ただ、人生が変化しないと言うことは実際にはあり得ないわけです。
    そのように感じることはあっても私たちを取り囲む世界や私自身の身体、私の経験は常に変化しています。
    変化を拒否しようとしても必ず何かがかわっているのです。
    振り出しに戻る感覚は単に4月がくるという社会的な事実(地球の公転につくられる)に過ぎません。
    この感覚はどうやら日本独特の感覚だったようです。
    特にキリスト教圏での時間は生まれてから死ぬまでの一直線的なものだそうです。
    しかし、日本はどこかぐるぐる回っている感覚を持った文化の中で時間が過ぎていくために、時間感覚に関してはおおらかであるそうです。
    そのために日本人にとって大切なのは「今=ここ」の感覚だそうです。
    過去や未来が重要なのではなく、この瞬間が大切なのだそうです。
    良くも悪くもその影響はそこかしこで感じることができます。
    特に昨今の日本の政治はそれを色濃く反映していると言えます。
    不況なんかはどうにかなる、それよりも「今=ここ」で自分の体裁を取り繕わなければ!
    麻生にしろ、小沢氏にしろ「今=ここ」の感覚をネガティブに使っていると思います。
    おおらかと無関心はおそらく同意語で、今の政治は無関心にほかならないと思っています。

    日本人だから仕方がないこの時間感覚なのかもしれませんが、変化の確かさを感じつつ、前に進んでいく努力は怠らないようにしたいと考えます。
    また、日々の変化を感じつつ、おおらかに自分の身体や精神の変化についても引き受けていきたいです。

    堀 寛史

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