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    2009年6月17日水曜日

    ぐるりのこと。

    橋口亮輔監督の『ぐるりのこと。』を見ました。
    以前から気になっていた作品でしたし、橋口亮輔の前作『ハッシュ』は僕の中の重要な映画と位置づけられているものでした。
    ですので、レンタルショップに久しぶりに行って貸し出しがあるのを見てすぐに見ようと思いました。

    特別でない人たちが、特別でないことをする映画が好きです。
    この映画はまさにそれでした。
    私たち誰にでもあるであろう苦悩を抱え、それでも一生懸命生きている。
    時として、苦しみに耐えられないので誰かに寄り添おうと思う。
    その寄り添おうと思った人を頼りにし、ずっと一緒にいる。
    もちろん人生には波風は立つもの、そして寄り添っている人にも同様に波風はたつ。
    ときに心底お互いに支え合い、倒れないようにがんばってみる。
    夫婦とはそんな物語りを共有しているのだと思います。

    人を好きでいるというのは道具的な価値や快楽の共有という意味がもちろんあると思うのですが、それ以上にただ一緒にいることができるとういうことが最も重要だと思います。
    その人自身の存在を認め、物語りを共有し、自分のようにその人のことを思うようになる。
    自己自身にとっては他者なのだけれども、境界をもった他者ではなく、自分が外に飛び出ているような存在で、おそらく視線は共有している。
    同じように感じ、もちろんそれは確認できないのだけれども、きっと共有は勘違いではないだろうと思えるようになる。
    夫婦のそんな姿をこの映画で見て、僕自身の夫婦生活についても改めてそのような視線で見つめ直してみました。
    結局のところ何かを共有するという行為や認識が夫婦には必要なのだと思います。
    そしてそれが勘違いであっても何となく確信が持てる気がする、それが大切なのだと思います。

    結婚する前とした後ではこの映画の感想は違うと思いました。
    殺伐とした不安定な時代ですが、結婚っていいなぁと思えました。

    堀 寛史

    2009年6月16日火曜日

    『1Q84』について村上氏が語ったこと

    村上氏が読売新聞のインタビューで答えたことで、心に響くフレーズがありました。

    >村上氏は、「大事なのは売れる数でなく、届き方だ」と強調し、「作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えて いる」「インターネットで『意見』があふれ返っている時代だからこそ、『物語』は余計に力を持たなくてはならない」などと持論を述べた。

    この言葉の力強さに喜びを感じます。
    これはイスラエル賞受賞時のスピーチにも呼応しています。
    また、単純に戦うべき相手をわかっている人であり、書くことの意味を明確にしている人だと思いました。
    今の時代だからこそ何をしなくてはならないのか。
    また、自分自身が何をしなくてはならないのか。
    そのようなことを考えさせられました。

    端的に社会とは人々の意思によって成り立っているのだけれども、その中で自分を位置づけ、やるべきことを認識し、その時々に主となる意味の薄い価値に翻弄されてはならないのだ、そのように聞こえました。
    根本的な倫理観や道徳をどのように考えているのか、それを自分自身に問わなくてはなりません。
    孤独や寂しさ、苦悩、そのようなものをもつ普通の人として何に寄り添い、何に反発すべきなのか。
    私たちは常々、私について考え、社会について考えなくてはならないのだと思います。

    堀 寛史

    2009年6月10日水曜日

    1Q84

    村上春樹著『1Q84)』が上・下巻の合計売り上げが100万部を超したそうです。
    すごい勢いですね。
    僕自身も発売してすぐに購入して、4日ほどで読み上げました。

    村上春樹ファンにとっては待望の新作長編小説だったわけですが、読まれた方はいかがだったでしょうか?
    僕自身にとって初めて主人公の一人(天吾)と自分が同一化できなかった小説でした。
    村上春樹の長編小説ではいつも自分自身のことのように読むことができます。
    僕にとっては『ねじまき鳥クロニクル』は自分のことと完全に同一化してしまい、しばらく心が締め付けられて、苦しい思いをしました。
    『ノルウエイの森』でもかなり深く同一化して、内容と言うより映像が自分の経験だったかのように脳裏に焼き付いています。
    しかし、今回の天吾に関しては明らかに自分と違っており、同一化ができませんでした。
    青豆に関しても女性であるという理由以外でもいまいち同一化できませんでした。
    これがクリティカルポイントになるわけではないのですが、読み終わってから悲しい気持ちになったり、つらい気持ちになったりといった感情は比較的軽く、一気読みした疲れはあるもののさわやかな気持ちでいます。

    村上春樹にとってこの小説が何を意味するのか?
    いくつかの新聞で書評が展開されて解釈が拡散しています。
    どの解釈もおそらく正しいのですが、人の解釈を自分の中に受け入れるとこの小説はさらに面白くなります。

    先日、村上春樹がイスラエル章を受賞した際の講演で「壁と卵」の比喩で戦争や現代について批判しました。
    僕はこの名講演を忘れることができません。
    ラディカルに、センシティブに、自分の言いたいことをハッキリという村上春樹の姿に感銘を覚えて方は少なくないと思います。
    この講演をベースに『1Q84』を読まれるとまた違ったおもしろさがあると思います。

    なにはともあれ村上春樹はすごい。
    それだけは確かです。

    堀 寛史

    2009年6月8日月曜日

    携帯電話の話

    昨晩、飲食店で食事をしていました。
    そのときに近くの席の女性が携帯電話をテープルの上に置いて手を素早く動かしていました。
    少しして手話をしているのがわかったのですが、その女性の同席者は彼女を見ていません。
    よくよく見てみると女性は携帯電話に向かって手を動かしていたのです。
    おそらくテレビ電話を使用して会話をしていたのだと思います。
    この光景を見て、携帯電話の可能性を強く感じました。

    以前、僕が担当していた人はメールでやりとりをしていました。
    DocomoがiModeを開発してからコミュニケーションがずいぶん変わったと。
    テレビ電話はそれからもう一歩進んでアクチュアルなコミュニケーションが可能となっているのです。
    テレビ電話が開発された当初はこんなの誰も使わないだろうと思ったのですが、十分その価値はあるのだなぁと思いました。