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    2010年8月23日月曜日

    iPhone塩漬けプランの失敗に気づく

    iPadの購入によりiPhoneの通信料を削減するように検討し、iPhoneを塩漬けするようにしていました。
    塩漬けとは3G回線を使わず無線LANの環境のみで使用し、通常の使用はiPadで行うというものです。
    今日、ソフトバンクから請求の連絡があり明細をみたら回線使用料がパケットの上限を超えていました。
    つまり、回線使用料の二重取り防止がうまくいっていなかったのです。
    予定ではiPhoneの塩漬けにより回線使用料が下限も1000円程度とiPadの上限の3000円弱で、iPhone単体の回線使用料よりも安くなる予定でした。
    しかし、iPhoneの上限とiPadの上限が請求され、7000円以上の回線使用料を支払うことになりました。
    これは予定外です。

    そのためネットでこうならないための方法を調べました。
    同じ失敗をした人がいるはずです。
    案の定、うまくいっていない人がおられてその人達から方法を学びました。
    答えは簡単です。
    iPhoneのモバイル通信を設定上カットすれば良いのです。
    僕のiPhoneは単純な電話とiPodになりました。
    無線LAN環境では、使用可能ですが基本的にはただの電話です。
    メールもMMSからSMSに変更です。

    現代のおいて回線使用料がかさむことは避けられません。
    賢い消費者になる為に、かなりの学習が必要です。
    便利なのですが不明瞭なことが多い現代、それをどう生きるか?
    これからの大きな課題です。
    パケット料は勉強代に支払ったと思い観念します。

    2010年7月4日日曜日

    メンタルとフィジカル

    デカルトの心身ニ元論について論考するつもりは無いのですが、メンタルとフィジカルというものが2つにわけられるとしたら今僕が感じていることは確かなことだと思います。
    33歳を節目に運動をしなければと思っていました。
    何をすべき何のかはわかっていなかったのですが、それは仕向けられました。
    最近、村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで、僕は走るべきなのだと感じたのです。
    村上春樹氏も33歳から走り始められたそうです。
    それに共感し、妻と夜、短い距離ですが走り始めました。
    気持ちを高めるために新しい運動靴を買い、カロリー消費を助けるというパンツも買いました。
    一旦走り始めると体がそれを求め、たくさんはできなくとも動けと僕に命令してきます。

    10代の頃を考えるとメンタルよりもフィジカルのほうが強くて、体力で乗り切ることが多かったとおもいます。
    20代のことはフィジカルのほうが強いとメンタルが思い込んで、生活し、しかし、確かにそれで乗り切れていました。
    30代になり、ある程度の精神力が養われ、いろいろな事にストレスを感じにくくなり、自分自身が何となく強くなった感じを覚えていました。
    確かにメンタルは強くなったのですが、目に見えてフィジカルが弱くなったのです。

    30を股越してから毎年夏時期になると体調をくずします。
    症状の大きさはいろいろですが、昨年の首の症状は人生ではじめて死を感じるほどでした。
    今年も精神的な疲れが取れにくく、何となく不安な日々をおくっていました。
    これは完全にフィジカルが弱くなっているためであり、メンタルはそれをひた隠しにしようと画策していました。
    メンタルを説得しフィジカルに問いかけてみるとやはり弱さを認めました。
    フィジカルはメンタルのせいにはしませんでしたが、状況はあまりよいものであるとは言えませんでした。
    お互いの調和と取るために僕は走るべきなのだと考えたのです。

    これまでうちに引篭もりがちの僕はメンタルにだけ話しかけ、対話を持ちかけていました。
    思索ふけるように少々格好付ながらそうしていました。
    しかし、走り出してからフィジカルの声が僕に届くようになりました。
    フィジカルの声の何と素直な事でしょう!
    僕にはそれが新鮮でたまりません。
    フィジカルは欲しい、まだいける、もうダメだ、そのようなボキャブラリーしかもちません。
    まだいけるという時には体の使い方の変化を指導してきたり、エネルギー効率を考えた方法に切り替えるように方法で訴えてきます。
    全身の感覚器と運動器を総動員させてせわしなく語りかけてきます。
    これまでこの声をどこか無視して、もうダメという時にしか答えていませんでした。
    あるいは欲しいという欲求にだけ、メンタルで不愉快さを覚えながら対応していました。
    彼らはこれまでもまだいけるということを僕に訴えていたのかもしれないと今頃になって気づき始めました。
    大人になったということなのかもしれませんが、素直なフィジカルな声をきちんと聞くべきだったのです。
    きっとこれまでも僕のためにまだいけると彼らは適切に情報をくれ、いろいろな部分を総動員してくれていたのです。
    今はこの声に耳を傾けることを憶えた僕は人生の幅が少し広がったような気分になりました。
    そして、メンタルもフィジカルの声に一目をおき、共存をはじめています。
    これもいい傾向です。
    この共存の結果、手厳しいメンタルがいついつ走るのか問うことをしません。
    君が走りたい時に走れば良いと言ってくれているのです。
    これは僕にとって結構珍しいことなのです。

    メンタルもフィジカルも疲れ、そして、存在そのものがなかったのではないかという位ぐっすり眠りたいとおもいます。
    それは結構僕にとって幸せな感覚です。
    汗をかき、その汗の為に水を飲む。
    これを繰り返す術をやっと理解したような気がします。
    これが人間の本質なのだと今は思っています。

    2010年6月6日日曜日

    コミュニティ発足とその他の活動について

    皆様お久しぶりです。
    LD4.orgとしてのブログを長らく更新しておりませんでした。
    少しずつですが広報活動もしっかり行っていきたいと考えており、こちらでの書き込みも頑張っていこうと思っています。

    ところで、LD4.orgを発足して2年が経過しました。
    3年目である今年の展開はこれまでと違っていろいろなことに挑戦し始めました。

    その第1がコミュニティの発足です。
    1ヶ月に1回程度ですが20名程度の定期勉強会をはじめます。
    こちらの参加者に関しては広報という形をとらずに有志を集めて発足させました。
    軌道に乗ったら、多くの方に享受できるような形に持って行きたいと思います。
    それまでしばらくお待ちください。

    第2に全国研修会への参加です。
    自由枠セミナーとしてはじめて全国でのセミナーを展開します。
    まだ、きちんとした内容は組み上がっていませんが、面白いセミナーになるように頑張るつもりです。
    理学療法士協会の冊子に文章が載りますので、読んで興味がわきましたら愛媛県まで足をお運びください!

    第3に可能な限り多くの研修会を開催することです。
    これまで2ヶ月に1回よりも少ないペースで研修会を開催してきました。
    今年は年に10回程度は研修会を開いていきたいと考えています。
    そこからコミュニティの活動につなげていき、皆様にとって本当に役に立つ組織になりたいと思います。

    セラピストも3年経過で一人前といわれる世界です。
    LD4.orgも3年経過時に何が出来るのか、何をやってきたのか、それをきっちりと示せるように頑張っていきたいと思います。
    今後ともご支援よろしくお願いいいたします。

    堀 寛史

    2010年4月20日火曜日

    1Q84 BOOK3 を読んで

    村上春樹氏の小説はほぼ読んでいます。
    今回の作品では何がテーマになり、何が解決されたのかを考えながら読んでみました。
    一つは時間論、もう一つは孤独の問題をどうすればよいのか?だったと思います。

    プルーストの『失われた時を求めて』が登場することからも示唆されているように時間論はこの小説の重要なテーマだったと思います。
    流れるとか止まると言った時間論ではなく、存在を規定するであろう時間の必要性についての言及だったと思います。
    簡単に言えば、感じる時間についての説明がなされていたと思います。
    誰に対しても平等にあると思われがちな時間は決してそうでなく、どのように感じ得るのかを説いたのだと思います。
    この時間論は孤独の問題に接続します。

    次に、孤独の問題です。
    これは僕の勝手な解釈ですが、『アンダーグラウンド』から抱えてきたオウム真理教が社会に受け入れられ、排除された原因の根本が孤独の問題であり、その解決策をどうすべきかを悩んだ結果が書き記されたのだと思います。
    牛河氏が「ソーニャに出会わないラスコールニコフ」と述べた部分にそれがあるのだと思いました。
    3名の孤独を抱えた登場人物の対比から「孤独」と「一人」を導きだし、そして孤独であることとは何かを説いたのだと思います。
    ドストエフスキーの『罪と罰』において「大地にキスをすること」が救いであったのですが、この作品では誰かを想うことが救いの一要素であったと読めました。
    誰にも愛されたことがない人が救いを探し、求め、そしてそれを見つけるまでの過程が書かれており、宗教の根本的な部分を暴露したのだと思いました。
    それはオウム真理教に傾倒していった人々に対する回答であり、現代において生きにくさを感じている人々に対する回答なのだと思いました。
    この回答を提示するために3人称を使用されたのだと思います。
    誰の声でもない、しかし誰の声でもあるような存在の使用です。

    テーマとしては非常に重苦しいのですが、僕には比較的しっかりした回答を提示していただけたと思いました。
    問いとそれを解くための道筋は難解なのですが、回答はシンプルで誰にでも受け入れられるものだったと思います。
    それこそ真理であり、ある意味では定義なのかもしれません。

    1と2とは違ったテーマで3を書かれたと思います。
    村上春樹氏の力量に驚嘆させられた1冊でした。

    2010年4月11日日曜日

    卒業生による勉強会(研究会)の設立に向けて



    今日、藍野大学で卒業生による勉強会(研究会)の設立集会が開催されました。
    1期生を中心に自分たちで能動的に勉強するための勉強会を開きたいという要望があり、有志が集まり、今後どのような活動を行うかを検討しました。
    「卒業後3年までに何をすべきか?」
    「今後の理学療法士の将来に不安があり、それを払拭するためにはどうするべきか?」
    この2つのテーマが根本にあり、ただし、具体的にそれについてどうすべきかを話し合うのは結構難しかったです。
    最終的に発起人の2名が何をやりたいのかを明確にした上で、それを周りに提示し、参加したい人が参加する方向性を打ち出して閉会しました。
    LD4.orgもそうですが、運営そのものが難しく、誰かががんばらなければならないというはなしをさせていただきました。

    自分たちで必要なことを学んでいく姿を垣間見て、教育者としてうれしくなりました。
    末永く継続される勉強会になることを祈っています。
    がんばってください。

    2010年3月22日月曜日

    パーソナリティ(将棋編)

    麻生内閣の置き土産で予算ができ、開催された親子将棋ふれあい教室に参加してきました。
    プロ棋士が講師となって2時間の将棋講座(2日間行きました)です。

    息子は全く将棋のことを知りませんが、連れて行き、将棋に触れさせてみました。
    1日目は駒の名前も漢字なので全くわかっていませんでしたが、少しずつ憶え、その夜に自分で復習し、次の日には駒の名前と進み方をおおかた憶えてくれました。
    2日間で一応の形で将棋を打てるようになりました。
    僕自身、将棋に詳しいわけではないのであまり息子の役に立つことはできませんが、しばらく気に入ってくれればいいと思います。

    息子にとって駒の特性(進み方)は興味深いようでした。
    僕も将棋を知った頃、飛車や角に自由度にあこがれを持ちました。
    そして、今となっては角に自分を投影します。
    斜めから素早くやっつける、そんな感じです。
    しかし、息子の感性は違ったところにあります。
    どうやら香車が好きのようなのです。
    理由を聞くと、まっすぐ進むところだと答えます。
    飛車もまっすぐ進むと行っても、香車が好きだと答えます。
    これはどこか性格をあらわしているのでしょう。
    幼稚園の卒園に当たって、担任の先生のメッセージが真っすく伸びて、だったのを思い出します。
    息子は曲がったことが嫌いで、まっすぐ進みたいと思っているようなのです。
    僕とはずいぶん違うんだなぁと思い、笑いました。

    棋士が言っていたことにはっとしたのを思い出しました。
    将棋は2人の人が面と向かって指す、TVゲームとの違いはそこにあります。
    人との関わりが内在している将棋に魅力を感じました。
    もしかしたら子どもにはそれを一番教えたいのかもしれません。
    その中で、まっすぐな精神を発揮してもらえればと思います。

    しばらくは子どもと将棋で遊びます。
    オセロの時のようにいつかは負けるのでしょうけれども。

    2010年3月16日火曜日

    卒業生からのプレゼント




    本日は勤めている大学の卒業式です。
    僕のゼミからも6名の学生が巣立ちます。
    その学生からプレゼントを頂きました。
    どうやら僕には普通のプレゼントだとダメだろうと考えてくれて、おもしろみのあるものと検討してくれたようです。
    頂いたのはMagic Music Monkeyという音楽とともに踊る猿のぬいぐるみです。
    MMMとMが3つなのが面白いです。
    今も僕のMacの上で踊ってくれています(クラシックだと踊りが緩い?)。
    ※写真(僕のゼミは痛みゼミなので痛みの文献をおく棚におかせてもらいました)

    彼らとの教師と学生の関係はこれで終わりですが、これからはセラピストの先輩として彼らの力になれたらと思います。
    Bon Voyage!

    2010年3月15日月曜日

    星の王子様

    子供が寝るときの読み聞かせを以前はやっていました。
    娘がだんだん物語についてわかるようになり、また、基本的な語彙が増えてきたので読み聞かせの意味があると思い再開しました。
    今回選んだ本はサン・テグジュペリの「星の王子様」です。
    実は僕自身としても読んだことがなかったのでちょうどよいと思いました。
    名作といわれている所以にふれてみようと思ったのです。
    もし子供たちが気に入ったら今度は絵本で星の王子様にふれさせようかと考えています。

    自分の幼少期に読んでもらった本ははっきりと憶えていませんが、読んでもらったということは憶えています。
    何となく暖かく、また心地よい記憶です。
    子供たちになにを与えてあげられるかはわかりませんが、読み聞かせることにどこか意味はあるだろうと思っています。

    実のところ、この読み聞かせは寝かしつけるときに自分が寝ないようにする手段なのですが・・・。
    今後もいろいろは本にふれさせようと思います。
    子供のために、自分のために(寝ないように)。

    2010年3月13日土曜日

    卒業シーズン

    大学で働いていますと3月は卒業シーズンであり、学生が大学から巣立っていくことになります。
    卒業は誰にとっても喜ばしいことであり、一つの節目です。
    毎年、自分が担当するゼミからも学生が巣立っていきます。

    今年は我が家でも長男がそのシーズンにあたり幼稚園を卒園します(幼稚園を卒園というのは危険が危ないといった漢字がするので変ですね)。
    学生を送るのと肉親が送られるのでは感覚がずいぶん違ういますね。
    大学の卒業式の次の日が卒園式なので連続でそのような儀式に参列します。
    2つの気持ちに少し心が揺さぶられるのだと思います。

    自分は月日が流れても成長した感じがしないのに、周りの人はどんどん成長していくのだなぁと思います。
    自分自身の日々の成長(あるいは成熟)を目指して生きていきたいと思います。

    2010年2月18日木曜日

    オセロ(リバーシ)

    息子(6歳)にオセロで負けました。
    これまで負けてあげることはありましたが、本気で負けました。
    僕自身このようなゲームはあまり得意ではありませんが、6歳に負けるほど弱くはないと思っています。
    つまり、息子が強くなったのだと判断できます。

    子どもの日々の成長には驚かされます。
    今後はいろいろな場面で抜かされる、負けることが出てくるのだと思います。
    親として喜ぶべき場面と悔しい場面が交錯するのだろうと思います。
    しかし親は親で成長していく必要もありますね。
    それを円熟というのでしょう。
    まだ若いつもりでしたが、息子を見ていると僕も円熟を目指さなければならないと思ってきました。
    日々成長できるように頑張ります。

    2010年2月4日木曜日

    ランドセル完成




    ついにランドセルが完成しました。
    革を購入したのが2009.11.6なので約3ヶ月かかったことになります。
    その間、制作していない期間はずいぶんありましたが、いろいろアイデアを練っていたりしたので制作期間であるのは確かです。
    まぁとにかく落ち着きました。
    ある意味では論文作成が終わったような感覚に似ている気がします。
    簡単に言えば達成感に他ならないのです。

    ランドセルを作るという行為は僕にとって何だったのだろうかと考えます。
    通常、親にとって「買う」ものであり、子どもにとっては「選ぶ」ものです。
    それをたまたま革細工が趣味という理由で作りました。
    子どもの喜んでくれてはいますが、おそらく勝手も同様に喜んだことでしょう。
    父親が作ったという事実はありますが、どのくらい物語が創出されたのかはわかりません。
    途中、息子と一緒に作ることがあったのでその部分は自分でやったという感覚は残っていると思いますが、それでも行程のほんの一部です。
    もし自分ならばと言う発想で考えてみましたが、ランドセルを手に入れたときの記憶ははっきりしていません。
    うれしかったし、成長した感はあったと思うのですが、物語としては残っていません。
    そう考えると息子にとっては少しばかりでも僕とは違った印象をランドセルに持っているのかもしれません。

    ランドセルは学生になる象徴です。
    僕の感想では学生になるための第一歩を僕が作れたというのは良かったのだと思っています。
    「使う」ために「作った」(ハイデガー的)ランドセルを可能な限り長持ちさせ、それとともに良い思い出を作っていってもらえたらと思います。
    父親としての仕事をひとつ終わらせた感じです。

    2010年1月26日火曜日

    ランドセル作成 途中経過






    以前、息子のランドセルを作るとこちらで書きました。
    論文やなんだかんだで制作が遅れているのですが、本体がおおかたできました。
    仕上げが必要なのでまだきれいとは言いませんが写真をアップします。

    作り出してみると結構大変でいくつかのトラブルがありました。
    一番のトラブルは内張に使用している飴ブタ(ブタ革)が本体のオイルを吸ってしまい色が変わってしまったことでした。
    まばらにしみこんだオイルでかなり悩みましたが逆転の発想ですべてにしみこませることにしました。
    約3週間ほどじっくりしみこませたら結構良い色に変化し一番の難題をクリアしました(写真が無くてすみません)。

    残すところはベルト部分です。
    こちらもステッチ数などが増えて大変だと思いますが、2月頭くらいまでには作り上げたいなぁと持っています。
    できたらまた写真をアップいたします。

    注:ランドセルの側面は息子のイニシャルのステッチにしました。

    2010年1月21日木曜日

    おむつ→パンツ

    娘が3歳になり、トイレを覚えさせようということになり、妻が娘にパンツを買い与えました。
    これまで、何度かトイレに促すように躾けようとしたのですが、娘はその行為自体気に入らないらしく拒否をしていました。

    娘は二人目の子供らしい自由な性格で自分の感触でしか物事を判断しません。
    僕自身も二人目であり、そのようなタイプの人間なので能く理解はできます。
    しかし、父親として躾けることと共感することとは違うわけです。
    ですので、トイレへの促しは少しずつ回数を増やしていました。
    ただし、それに確実性はなくトイレに行かなくても罰則はありません。
    このような僕の何となく行ってくれればいいなぁと言う発想と対策は実のところ甘く、娘のことをよく知る妻は「物」で娘の心をつかみました。
    それがパンツでした。
    娘にとってパンツがどのような意味を持ったのかわかりませんが、掌を返したようにパンツしかはかなくなりました。
    まだ、一日に一回くらいお漏らしをして失敗するのですが、尿意や便意はその都度報告されます。

    我が家にとって大きな変化は睡眠時にも訪れました。
    夜寝るときはおむつをはかせようとすると娘はそれを拒否するのです。
    息子のときは夜のリスク管理のために結構長い間おむつを着けて寝かしていました。
    それが普通であったと思い、娘におむつの着用を促したのです。
    しかし娘は「おっきいおしりはいや」と理由付きで拒否するのです。
    面白いことにその理由は機能的なものではなく、フォルムだったのです。
    娘にとって殿部周囲のフォルムは重要らしく、それがくずれることに我慢がならないようです。
    何となくですが、良い感覚を持っているなぁと家族で笑いました。

    子供には子供の理由があり、大人の世界は通用しません。
    特に直感的な理由は親にはまったくわからないわけです。
    しかし、その都度の理由は子供たちにとって重要であり、それをどこまで尊重してあげられるのかについて問うことが躾けなんだと思いました。
    社会的理由を子供に押しつけるのはいつかできるのですが、子供たちの感覚を信じてあげられるのはその瞬間しかないのです。
    今回、娘からそのようなことを教育されました。

    2010年1月13日水曜日

    締め切りを過ぎて書き上げた

    書けずにうなっていた論文を仕上げました。
    論文と行っても学術的な物よりは少し軽いです。
    しかし、産み出すことはどんな物でもけっこうしんどいのです。
    今回は(も)論文の根本になる部分と最終的な落ちがなかなか見つからずに苦労しました。
    一日部屋にこもって夜に何かが降りてきてそれで少し考えが広がりました。
    体調も悪くなり、身体的にはあまり気持ちよくはないのですが、達成感に浸っています。

    今年は書く年にしたいと思っています。
    しかも締め切りを守る大人の書き手になりたいです。
    キーボードを買い換えなくてはならないくらい書けたらと思います。
    頑張ります。

    2010年1月4日月曜日

    年末買った本、年始に買った本

    みなさまあけましておめでとうございます。
    本年もどうぞよろしくお願いします。

    昨年末31日に子どもと本屋に行き、たまたま「現代思想」の臨時増刊を見つけました。
    特集はフッサールでした。
    僕にとっては重要な哲学者ですので迷わず購入しました。
    読み込むにはなかなか時間がかかりそうですが、時間があるときに少しずつ目を通しています。
    なんとなく十分に哲学書を読み込めなかったとしだったので、最後に気持ちが前を向いたのだなぁと思います。
    一歩一歩確実に前に進むがごとく哲学書を読んでいかなければと思います。
    それが年末の教訓となりました。

    一方、

    年が明けて、2日、3日と家族で本屋に立ち寄りました。
    家族全員なぜかしら本屋に行きたがります。
    大型書店だったら確実に一日過ごせます(息子6歳、娘3歳も大丈夫です)。
    特に息子は僕なんか比べものにならないくらい本屋が好きで、ひらがなしか読めませんが、ずっと本を読んでいますし、時にはおもちゃで遊んでいます(最近の本屋は半分おもちゃ屋化しています!)
    娘はさすがに、飽きるのが早いですが環境因子なのか本が好きです。
    今日も、中規模の本屋を期せずしてハシゴし、今年最初の本を購入しました。
    「Pooka+ 荒井良二 日常じゃあにぃ」という雑誌?Mook?です。
    荒井良二の絵本は非常に好きで、特に『たいようオルガン』が大好きです。
    今回買ったものは絵本ではなく、荒井良二について特集してあるものでふんだんに絵も盛り込まれています。

    本を読んでみて、見てみて荒井良二と僕が見ている世界はおそらく別物だなぁと改めて思わされました。
    僕の世界は割と文字と音でできています。
    しかし、荒井良二の世界は色彩と映像でできているようです。
    そのような世界を持っている人にあこがれを持ちます。
    僕は歩くときだいたい周りを見ていません。
    ときどき、自分がどこを歩いてきたのか思い出せないときがあります。
    しかし、色彩と映像の世界は花が咲いた、雲の形がおもしろいなどと今起きている世界の変化を捉え、正しく知覚と向き合っているように思います。
    僕の世界がきらいなわけではないですが、たまに強く色彩と映像の世界にあこがれを持ちます。
    みなさんはどちらのタイプですか?
    あるいは他のタイプでしょうか(どんなタイプなのかはわかりませんが)?

    本の買い方は色々あると思いますが、必要な本はネットショッピングで買うことが多く、本屋では出会ったものを買うことが多いです。
    単純に、本屋では衝動買いするのですが、きれいに言えば出会いなのだと思いこんでいます。
    年末と年始の本との出会いから考えて、昨年末はロゴスで終わり、今年はパトスで始まった印象を持っています。
    僕の中ではきれいにまとまった終わりと始めだと思っています。
    何となくですが、頭の中にとっては良い流れの一年になるような気がしています。